銃撃で急死は、家系に? 安倍晋三家の共通点

家系図のイラスト ニュース話題
在職中の安倍総理写真(首相官邸より引用)

安倍元総理が、参院選の応援演説中に背後から銃撃され、67歳で亡くなられた報道は、日本をはじめ世界各国でなされています。

あまりに突然のことで、驚きを隠せません。
ご家族やご関係の皆様の落胆もいかばかりかと思います。
どうぞ、お心を強くもたれ、ご遺族に平安がありますように。


安倍元総理は、「選挙になると元気になる」と言われるほど、選挙に熱心だったそうで、そんな中でのこの事件は無念だったに違いありません。
今回、安倍晋三元首相の家系を振り返り、勝手に共通点を見つけてみました。

安倍元総理の親族

安倍元総理は、政治のために生まれたような方でした。父方祖父は安倍寛(元衆議院議員)、母方祖父は岸信介(元首相)、父は安倍晋太郎(元外相)。更には大叔父には佐藤栄作(元総理)、母の安倍洋子は岸信介の長女です。

小さい頃から「大臣の○○は・・」「外交は・・」「政治と金は」といった話をききながら、安倍元総理は将棋の手を学ぶかのように身につけていかれたのではないでしょうか。
安倍元総理が政治に関心を抱き、その道を歩んだのは必然だったにちがいないですね。

父方祖父 安倍寛の死

元衆議院議員であった祖父安倍寛は、安倍晋太郎(安倍晋三の父)が生まれたのち、妻と離婚、以後は独身で過ごす。衆議院議員初当選は1937年。軍閥主義を鋭く批判し、清廉潔白な人格者として知られ「大津聖人」と呼ばれていた。非戦・平和主義を唱え、2期議員を務める。元総理である三木武夫とは親友。3期目の選挙準備中に、心臓麻痺で急死

 〔安倍晋三元総理選挙活動中に急死

母方祖父 岸信介 重傷を負う

内閣総理大臣を務めた祖父岸伸介は、「総理は外交や治安に力を注がねば」と考え、日本の主権回復にに注力し、日米安保条約を締結。その後、条約改定に向けた動きの中で国内に混乱が生じ、混乱の責任をとって総理辞職を表明。1960年7月14日暴漢に刺されて重傷を負う。

〔安倍晋三元総理突然の銃弾に撃たれ死亡〕

父 安倍晋太郎の死

1958年衆議院議員に初当選。妻は岸信介の長女、安倍洋子。政界のプリンスと呼ばれ、竹下登、宮澤喜一と共に将来を嘱望されていた。総理就任を目指して、若手議員を大量に当選させるも、癌のため5月に67歳で死去総理を目前にしながら、自身の病気のため、参院選不出馬となった。

そして、その代わりとして、息子の安倍晋三が出馬することとなった。

〔安倍晋三元総理享年67歳参院選活動中に死亡〕

母 安倍洋子の心境

 母である安倍洋子は、1928年生まれ、現在は施設で暮らす。自身の父 岸信介が暴漢に刺されて重傷を負った経験をもっている。今回息子が街頭演説中に襲撃されたとニュースで知り、どれほど驚愕し落胆したことだろうか。

 『もう晋三はいなんですよ。明日から信千世(安倍元首相の実弟のご子息)の選挙戦が始まると思ってやりなさい』と声をしぼりだしたとのこと。懸命に、息子晋三さんの死を受け止めようと気丈にふるまっておられたのだと思います。母にとっても選挙が支えだったのですね。

まとめ

政治家の襲撃事件は、時折報道されますね。

例えば、
2002年 民主党(当時)の石井紘基衆院議員 自宅前で男に刃物で刺され死亡
1992年 金丸信自民党副総裁が銃で狙われる。
1990年 自民党浜田幸一議員が鉄製パイプのような物で頭を殴られる   

政治は、国の方向を預かる大切なもの。しかし十人十色といわれるように、人の考え方も様々です。
しかし少なくとも政治は、「民主主義」の社会では武力ではなく言論で闘うためにあると思います。
そんな中での、銃撃事件。小さな声が引き上げられなかったことで起こったのかもしれないですが、なんとも衝撃的です。このことで誰が幸せになったのでしょう?

安倍元総理の家系は、方向の是非は別の機会にするとして、ともかく政治ひとすじ、懸命に走られた印象があります。
安倍元首相の通夜は11日、葬儀は12日に執り行なわれるそうです。(喪主は昭恵夫人)
長い間お疲れさまでした。どうぞ安らかにお眠りください。

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